(fig01ブナ林の成り立ちと将来)
(fig01ブナ林の成り立ちと将来)

    もともと、青森の自然環境を考える会につきましては、白神のモニタリングの調査を通じてお世話頂きましたし、また、水源地の話についても考えさせられてきました。
    それで、ブナ林とはどんな林なのか、ブナとはどんな木なのかという話をしてほしいということなので、その話をします。じつは、ご紹介させていただきましたように、マレーシアの熱帯林の話もどうかということもあったのですが、とりあえず今日はブナの話をしますが、また、呼んで頂ける機会があればよろこんでやります。
    青森はけっこう縁がございまして、もともと私はブナの研究をしていましたが、最初に青森のブナ林を見せていただいたのは二十数年前の南八甲田のきれいなブナ林で、非常に感激したことを今でも覚えています。
それからいろいろありまして、例えば、白神山地の世界遺産のことで国際自然保護連盟の方が視察に見えられたのですが、この視察の前に東京で、白神山地はどういうものなのか説明しろということがありました。
この説明を突然、英語で説明するように三日前に言われ、とまどいました。私のせいで白神が世界 遺産に選ばれなかったらどうしようかと非常に気にしました。
    それから、山内丸山の遺跡を遺跡公園にすることに関する委員会に、昔の山内丸山はどんな植生であったのか、植生の復元はどうしたらいいのかということで出させていただきました。 また、白神山地のモニタリングにも関わらせて頂き、比較的青森には他の県よりもつながりが多い気がします。3:15

    今日のお話ですけど、青森の自然環境を考える会の皆さんとも相談して、「ブナ林の成り立ちと将来」というタイトルにしたのです。
話としては次の四つでして、
一つ目は「ブナ林の歴史となりたち」ということで山内丸山のころから、またその前の青森の植生、東北の植生ですが、どういう経過で今のブナ林になったのか歴史のことを。
二つ目はその結果ですが「日本海側のブナ林と太平洋側のブナ林」はどう違うのかという話で、
三つ目はではその「ブナ林の更新」は非常の難しいという話をし、
その難しいブナ林を人間がどうしていくのか、「人間とブナ林」を四つ目にお話します。

(fig02 ブナ林の歴史となりたち)

(fig02 ブナ林の歴史となりたち)

    最初にブナがどのようにして来てブナ林が出来たのか、これは私の専門ではないので、いろんな研究者や本などから教えて頂いたことな のですが、一般的なこととして、知床とかこの白神山地の林の出来たのは、日本の周辺を流れる海流によるよるという話が云われていますが、これとほとんど同じことです。
もっとも、海流は気候に影響されるもので、気候に影響されないものは一つも無いというのが正しいことなのでしょうけど。5:38
    話のポイントとしてわかってほしいのは、「どうやって歴史を探るのか」ということ、そして「日本のブナ林はいつごろ出来上がったのか」「三内丸山の時代のブナ林は今とちがう?」のかということ、それから「日本海側と太平洋側での成り立ちのちがい」を理解していただいて、次の話につないでゆきたいと思います。

(fig03 最終氷期以降の気候変化)

(fig03 最終氷期以降の気候変化)

    「どうやって歴史を探るか」と深く結びついていることなのですけど、約二万年前の頃、二万年前と云われても、私もまだ五十年しか生きていないので、時間のスケールがあまりにも違いすぎて想像できないのですが。
二万年前に最終氷河期があって、このとき一番気温が低くなって今より−7度ほど低く、それから今の温度まで上がってきました。その上がってくる間に植生がいろいろ変わってくるわけですが、その変化はたとえば花粉分析といいまして、八甲田にいっぱいあるような湿原に堆積していく水苔の泥炭の中に含まれている花粉を、層ごとに分析していって、一万年前にはどんな植生であって、五千年前にはどんな植生で、どんな林であったかを調べます。
あと、南極の氷の中にいろいろな情報が入ってこれがどんどん積もっていきますので、氷のコアをくり抜いてコアの中に溶けている成分を調べて、その当時の温度を知るとか、堆積したプランクトンの組成から当時の海水温を知るとかいろんな方法があります。8:01

    最終氷河期以降、まず気温がどのように変化してきたか見てみます。気温が高くなれば南極や北極の 氷が溶けるので、海面が上がってきます。
二万年前の気温の低いときの海面は今より100から200m低く、それがだんだん上がってきて今のようになった。
それと同時に雨 の降り方も変わりますが、これは海流に影響を受けています。氷河期にはおそらく日本海は冬になると凍結していたか、対馬海峡も海面が低くなって閉じていたか、閉じていなくても川ぐらいの幅しかなかったのではないか、そうするといま雪の降るメカニズムを考えますと、いまのように日本海の水が蒸発してそれが八甲田山にぶつかって青森に雪を降らせるのですが、それがなくて氷河期の冬は雪が少なかった、それが気温が上がるにしたがって多くなってきた。9:45
夏の降水量は太平洋からの雨によるのですが、これ も氷期には少なかtった。つまり、冬も夏も雨が少なかったのですが、温暖化にとも なって多くなってきます。
ここで気をつけなくておきたいのは、7000年から5000年前にヒプシサーマル期というのがあって今より二度ほど気温が高かった。その頃の水面は高く、三内丸山の遺跡の所がちょうど海岸であった。

(fig04 ブナの花粉 氷期以降増えてくるが、平地でその量が大量になるのは4000年前以降)


   この図は花粉分析の図ですが北から南まで日本全国で、ブナの花粉が出てくるのは15000年くらい前からで、だんだん増えてくるのですが6000年前7000年前は気温が高いものですから、その頃は標高の高 いところで見られ、三内丸山のような低地はブナ帯でなありませんでした。平地で増えてくるのは4000年前以降です。
今から4000年の歴史というのも想像できないのですが、ブナは年輪から見て一番長いと400年ぐらい平均200年として20世代、徳川15代、ブナ20代とすると徳川時代くらいの安定しかない。

(fig05 20000年前の日本列島)


    二万年前の日本は大陸と地 続きだったようで、青森はシベリアのツンドラ地帯のようで、アオモリトドマツは多くなく、トウヒとかエゾマツが多く、南でもブナは少なかった。

fig06 晩氷期13000の日本列島の植生図と古地理


    東北は亜寒帯の針葉樹に被われていた。

fig07 縄文時代早期前半9000年前の日本列島の植生図と古地理


    かなり温暖化が進んで青森は落葉広葉樹林のカテゴリーに入るんですが。

fig08 縄文時代前期6000年前の日本列島の植生図と古地理


    青森は今よりずうっと海が中に入っていて、落葉広葉樹林であったわけですが果たしてこの時ブナはあったのか。


fig09 縄文時代前期の各地の花粉分析の結果と土器型式からみた文化圏


    今のブナの多い日本海側でもコナラ属、クルミ属、クマシデ属、ハシバミ属、ケヤキ属などブナ以外の花粉が多く、ブナの花粉が出るところは多くない。三内丸山の遺跡時代はブナ林ではなかった。
ようするにまだブナが下に降りてこれない状態であった。


fig10 3000年前の日本列島


    三千年前頃になると今の気候と植生もほぼ同じになり、東北地方のブナが増えてくる。


fig11 縄文時代晩期の各地の花粉分析の結果と土器型式からみた文化圏


    これをまとめると、ブナの花粉は最終氷期以降の温暖化と日本海側が多雪になるのに伴って増加してくるが、ただこの後8000年から6000年前のヒプシサーマル期には現在より約二度ほど平均気温が高くなって、その時にはブナが少なくなりナラとかシデとかほかの落葉樹が多い温帯落葉混交林が多くなったが、4000年前頃からまた温度が下がって日本海側や東北で花粉の割合が高くなり現在に至っています。


fig12 花粉分析によるブナ林の変遷


写真 左はコナラが混じった日本海側のブナ林。中は白神クマゲラの森、すらっとしたブナが多い。右は太平洋側で標高が高く針葉樹と混成したブナ林。この様なブナ林のバリエーションは当時すでに出来ていたのです。

つづく