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4月の白神岳は純白の衣をまとい神々しい。これから5月にかけて雪は急速に消える。尾根筋は早いが雪深い谷間は遅い。その変わりゆく残雪の変化を目ざとく捉えながら、昔の人たちは農作業の手立てを考えていたのだろう。
この日の状況から雪形出現はまだ早く、5月上旬が勝負どきと見た。白神岳は遠く離れているので、いつも頂きを見せるとは限らない。地元の嶋津さんに、晴れた日の望遠撮影をお願いした。
同氏から青森の私のところに、電子メールに写真を添えて刻々と雪消えの状況を知らせてきた。山肌に白と黒の縞模様が現れ、文字とも記号ともつかないものが増えていった。そこに「上」という漢字が浮き出てくればしめたものだが―。
ほかにも不安があった。それは、ごく素直な「上」の文字とは限らない。「上を表す漢字は数十ある」(図2)と、書に詳しい人から教えられ参考にすることにした。

図2:漢字「上」の書体各種
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5月3日快晴。再び峰浜の高台に立った。何という変わりようだ。残雪はほとんど消えうせ、不規則な筋状だ。撮り損じは許されない。何枚も何枚もシャッターを切った。ここは、白神岳とは直線距離にして約23キロも離れている。望遠でもファインダー内で雪の形状は分析できない。持ち帰って検証を加えることにした。
はやる気持ちを抑えながら、嶋津さんの案内で手這坂という萱葺き屋根の奥ゆかしい山村(図3)を訪ねた。そこは、真澄が桃源郷と絶賛したところである。地元の人がその保存と活用をはかっている。真澄が見たのと同じように濃い色の梅の古木が咲き誇り、春爛漫の季節を迎えていた。

図3:菅江真澄が文化4年に訪れた桃源郷・手這坂(2002年5月3日)
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● 「上」の雪形発見、山名検証に成功!
いよいよ、パソコンで拡大して写真判定だ。「あった!」そこには、ごく普通に用いられ、多少変形した白い「上」の文字(図4・5)が浮き出ていた。

図4:「上」の文字の雪形がくっきりと現れた。 |

図5:そのイラスト
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真澄の日記には、さらにつぎのような添え書きがある。
「・・・・、あるいは上文字山、また白上、あるいは白神というのも同じためしである」(図6)、と。山名は「白上」変じて「白神」になったのだ。これが白神岳の山名由来で雪形がその根っこに潜んでいたのだ。

図6:日記の脚注部分に「白上」から「白神」に、とある
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今、峰浜で故事来歴に詳しい年配のかたに、このような雪形のことを訊ねても知る人はいない。「白上」文字は、今の暦では4月下旬から5月上旬にかけてゆっくりとその形を整えていく。文字が完成したときはサクラの花が散り始めていることから、昔は田起こしの真っ盛りであったのだろう。
今回は、白神岳の山名由来について、雪形という極めて具象的な手法で検証したが、真澄は享和元年(1801)に岩崎村黒磯あたりで、「ひときわ秀でた山は白髪が嶽だという」(日記「雪の道奥雪の出羽路」)とも記している。ここからは「白上」の雪形は見えない。そして、これは雪形説に先立つ6年前のことで、「しらかみ」には土地によっていくつかのいわれがあったものと考えられる。
● 引用文献
菅江真澄 1801、雪の道奥雪の出羽路。
菅江真澄 1807、おがらの滝。
(2005年5月1日記)
【予告】
このシリーズは12回を予定し、白神岳にはじまって八甲田山、岩木山など青森県の山々に現れる雪形を探訪する。
ふるさと雪形探訪−1 白神岳(上)
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