|
NO.395「ブナ植栽地へ」の「ブナ植林の疑問」提起、 |
|
「ウェブ東奥」に「杜を切る都」(3月18日)で投稿したMM生です。
そのなかで「明鏡欄」に出た下記Aの佐藤さんの投稿を引用しました。 そうしたら3日後に公園近隣住民さんからBのような投稿がありました。 真っ向から対立しているご意見です。今後、都市環境、自然環境はますます大切な問題になると思います。 ご両人にはもうしわけありませんが、読み比べながら私見をのべさせてください。 本来であれば東奥日報の「明鏡欄」や「ウェブ東奥」が適当なのですが、舌足らずを恐れて「読者の声欄」にお願いしました。 本欄は「ブナ植樹」を当面のテーマにしていますが、ゆくゆくは自然環境全般におよぶと考えました。 なお、私はAの佐藤さんの意見に共感をもつものです。 A.「公園内の枝払い、行き過ぎである」(3月16日、佐藤生、54歳) 論点は、 @住宅地は高齢化で落ち葉など管理できず自宅高木は切られ緑がなくなった。 A近隣にある数ヵ所の公園は樹種も多く生長し、憩いの場を提供。 B先日、ケヤキなど殆どの高木の枝がバッサリ切られ唖然。 C青森は樹木が少ない、セミも鳴かない。 このような処置は市の「景観形成ガイドライン」や「緑の基本計画」理念に逆行。市の回答を求める。 B.「公園の樹木は、配置に工夫を」(3月19日、公園近隣住民、42歳) 論点、 @公園は憩いの場だが、狭い園内に樹木が密集するのはどうか。 昼でも薄暗く、薄気味悪い場所もある。落ち葉の片付けも大変。 A近隣住民は、ポプラは朝日をふさぎ、昨年の台風で枝も折れ、街灯の引き込みもあわや切断。 市に頼み枝払いをしてもらった。 B緑を増やし続けることは大事だが、公園、学校、街路樹の近隣住民は悩みの種。 C道路側は見通しのいい背丈の低い木や花、中央に大木を配置するなどの工夫を。 C.両論を読んで私の意見 @住宅地にしろ公園、街路にしろ生長し大木になると、近隣の迷惑云々で大変に窮屈な世の中です。 自宅の場合は家主が、公共の場は行政が、今後この樹木はどうなるのかを考えながら計画性の ある緑づくりが欠かせません。 A数年前にアメリカシロヒトリが大発生したとき、隣同志の苦情合戦で市内各所では、 ばさりバサリで業者が大もうけしたことは記憶に新しい。あのときは猛暑の特別の年でした。 これは防除ですんだはずです。行政は的確な知識をもとに木を切らなくてもサポートできたと 思います。 B落ち葉です。将来的に市の財政は逼迫しています。これこそ地域ぐるみのボランティア活動が 有効です。除雪だけでも大変な出費なのに、これもとなれば私たちの税金負担が増えるだけです。 行政に要望したいことは、これからは落ち葉のリサイクルは是非もので、そのノウハウづくりと 土壌還元に気をつかうことです。 C近隣住民さんの、公園づくりとか植樹の計画性には賛成です。市の「景観形成ガイドライン」 とか「緑の基本計画」の実効的な出番です。公園の修復や新規造成にはぜひ活かすことですし、 樹木にこころのこもった配慮とかマニュアルが必要です。上記ガイドラインに書いていないと すれば、役立たずですから検討をしてください。 D市民はもう少し我慢が必要ではないでしょうか。それぞれが多様な感じ方をもっています。 緑豊かな街づくりは必要なわけですから、朝日が入らないとか、落ち葉がどうのこうの、物騒だ 云々は二次的な問題です。別な見方をすれば木陰をつくってくれるとかの恩恵がいっぱいあると 思います。 Eとは申せ、危険を予知したときは、行政は最小限の枝切りなどは必要でしょう。ただ、 かつて流行った「すぐやる課」といった、アンバランスで住民に言いなりの行動はつつしんで ください。第一予算がもちません。ばっさり切ることを喜ばない住民もいるということを忘れ ないでください。 F最後に、「緑」についてですが、私は単に樹木や花壇がそこにあるだけではなく、セミが鳴き トンボが飛ぶ、こじんまりとしてでも中身のある「生態系」が街のあちこちにあって欲しいと いうことです。こういった仕掛けが、こどもたちの情操教育に役立ち非行防止にもつながると いうことです。 やがて、上記のA投稿に市の回答があるはずです。それを待ちましょう。 |
![]() ![]() |戻るReturn| |
|
K.E.さま,Yさまへ 青森とくらべたら尼崎など,廃墟からのたてなおしです。「21世紀の森構想」とかです。 湾岸の重工業撤退のあと,今産業廃棄物工場が並ぶ地域を市民が海と運河を再生かつ陸に 森をつくろうとしているのです。想像できますか?,いろんな方々の意見をあつめ,智恵を しぼっています。現地になんども足を運び・・・ それにくらべたら豊な森を「水源地保護」との名目で,保護規制をかけ,多額の税で買取り そして,寄付・ボランティア・・・多額の費用をかけて自ら規制を犯して伐採・植林・・・ 無知な市民もお気の毒です。「無知は罪悪」です。すこし利口な方はこの機会を逃さずです。 「・・・啓蒙」とかを最後の切り札にするのはもう手詰まりのようです。 利権に群がる構図がみえみえです。青森の産業計画ともにらみ将来にわたっての展望を本当に 市民と勉強して構想してほしいです。 「水源地に植林しています」なんて言えば「え!どうして?・・・青森は大切に森を守って きたのと違うノン,日本一おいしい水だろう?,どこかと合併して青森の名が消える?」。 話しは変りますが,「南八甲田山の登山道問題」もおなじことです。利口になってください。 自ら貴重な観光資源をなくすような行政にウイルスのように反抗すべきです。
K.E.さんの「野山にも庭にも田畑にもほとんど生き物が見られなくなり、 (中略)自然界では、一般に言われていたようにウイルスの反乱が起った。」は、 物凄く含蓄のあることばで、深刻に受け止めざるを得ない警鐘に思えた。 ふと本棚にある驚くべき害虫の抵抗性を書いた本を思い出した。かいつまんで紹介 すると、 殺虫剤事始めは、中国では3000年以上前から植物をいぶして蚊を防いだ 記録があり、日本では1200年前の万葉集に「蚊火=蚊いぶし」といった言葉が出て くるという。それが江戸時代にはヨモギの葉、クスノキのおがくずになり、戦前までは 除虫菊。やがて1938年にスイスでDDTが開発されて以来、有機合成殺虫剤が相次 いで登場したとある。 ところが、これからが殺虫剤の抵抗性を獲得した「害虫」と 人間のシーソーゲームの始まりである。1944年までは世界中で12種の抵抗性害虫 が知られているだけだったが、1980年には364種にも達したという。抵抗性の 度合いは、身の回りにポピュラーなイエバイやアカイエカで、1965年から1970 年頃までは20倍から50倍であったものが、1980年以降は虫の種類によっては数百 倍から数千倍、なかには10万倍以上という物凄い害虫まで現れたというのである。 手元の本にはそこまでであるが、現在はどうかと考えても空恐ろしい。 このような抵抗性は、ダーウィンの自然淘汰説「進化論」に対して、「人工的小進化」 の要因だという。まわりくどい話になったが、言いたいことは「過ち」はできるだけ 早く正そう、科学の積み重ねに、謙虚になって耳目を傾けようということである。 この場合、津軽の「じょっぱり精神」は何の役にもたたない。
私たち「やぶなべ会」が昭和44年に会則を変え自然を考える団体に衣替えしたこ ろにも、既にあれほど目立った環境の変化があり、それがさらに延々と四十数年も続 き、もはや近年ではその殺戮行動の対象生物が見あたらなくなりました。野山にも庭 にも田畑にもほとんど生き物が見られなくなり、この行動こそがやがて人類の破滅に つながるのではないかと恐れ戦いているこの頃です。 次の段階として生物界には何が起こるのだろう。何が起こっても不思議ではないと 思っていましたが相も変わらず人間同士の殺戮やそれに伴う環境破壊が継続してお り、自然界では、一般に言われていたようにウイルスの反乱が起こりました。 今度はどこへ飛び火してもおかしくない世界を股にかけた伝播になるかも知れませ ん。取りあえず、その対象は密殖状態にある家畜、家禽、養殖魚類など一番劣悪な環 境に飼育されているものがターゲットになりました。その配達は、世界中を飛び回っ ている鳥類が引き受けているようです。国内での一番手はカラスが引き受けたようで す。 一般にはまだその恐怖を実感していないようですが、何も人間の健康を脅かすだけ が恐怖ではないでしょう。病気に感染した生き物を何十万と殺戮し生き埋めにしても おそらく解決されないでしょう。 そのうちに今度は食物が不足する事態になるかも知れません。 私たちの生活環境もどこを見てもまだ下げ止まってはいません。ゆっくりと確実に変 化は続いています。この現実にどう立ち向かうのか、行政も市民もまだ不感症のまま です。せかせか動くことに慣れて自然界のリズムと波長が合わなくなったのです。 このような事実が毎日報道されていても、恐怖を感じないことに末世を感じていま す。たいしたことではないことの積み重ねが今日に至っていること。 これからは何にでも声を上げようと思うようになりましたが、体力が伴わなくなった この頃です。頑張ってください。後をついて行きます。
「理にかなったブナ植樹」とかです。その「理」について議論しているところです。 自称「山好き」とありますが,このご意見から推して「観光登山者」としか思えません。 それも,ブナが大好きな今様流行の方でしょう。小生にいわせればこんな方々が日本の 山岳をめちゃめちゃにしているのです。自然破壊の先駆者です。困ったことです。 寄せ集めの文字面は「非難」されるべきです。 この地も,集水地区・水源涵養林として「青森市森林整備計画変更計画書」にのっとり 水道部が実施しているのです。その中に(第1・6)「・・・広葉樹(ブナ)・・・」と あるのです。なぜ,ブナかとの議論がなされている最中に「理にかなった」とか。 それも論破されているのです。トボケタ記事です(載せる方もどうかしている)。 水道部がこの計画書に従うとなれば,「計画書」から再審議・再変更せねばなりません。 「これから研究を重ねて」ではありません。ほかにも「長い目で見なければ」とか言う方が いるようですが,所詮,観光化事業・分譲別荘候補地・・・との志向が見え隠れします。 今を止めなければ,萱野高原まで散歩道が出来るでしょう。それも,マイカーで・・・ 神戸市・六甲山をお手本にしないでください。
いかにヒトというのは浅はかなものか、を思い知らされました。 石井教授は、これまで口をすっぱく青森でも間違った考えを正すために、 折に触れて熱演をしてきたというのに、一向にそれは活かされていなかった。 小生は、きょうの話で十分理解できましたが、また、教授のきょうは 止めをさすのだという心意気に全員が理解できたと思いますが、過去に おいて聴いたかたがた、とくに直接行政などで活かさなければならなかった 立場のかたがたは、逆に活かさない、提言しない、という立場をとってきた のでしょうか? この講演を聴けなかったかたがたも、上記のようにアップされた要旨を 一読すれば、即、判断できるでしょう。 繰り返しますが、今回の差し迫った問題を抱えて聴講した、ほぼ50人は おなじ感慨をおもちになったのではないでしょうか。 そして効果覿面だったと。
先日3月1日の35の意見を読んで、計画的な植林というのがどうやら変わったなと思っていました。
|戻るReturn|
今日の、読者の声「市側は歩み寄ってきた」で、間違いないようだなと思いました。 示談にならなかったのは、考える会の皆さんの大きな努力があったからでしょう。 暇な私は、どうしても植林計画を進めると言うのなら、今後は、整地作業、植林作業の現場に、会の皆さんのような識者を立ち合わせるという約束を取り付けるのも1つの方法じゃないかなと、思ったことがありました。そうすれば、無駄な伐採が防げるんじゃないだろうかと。 たくさん植えたい業者は、作業がしやすいように、樹齢なんかは無視して、伐採していたのでしょうから。本当は、何もしないというのが、最善の策なんでしょう?軌道修正というか、少なくとも、計画植林は変更(ストップ?)されるようで、階段を1つ上れたと思っていいようですね。 まだまだ、たくさん問題があるのでしょう、大変だろうなと思って端からみています。ご苦労様です。
青森市水源地の「ブナ植樹問題」については、いま全国規模でブナが自然環境のシンボルのように神格化され盛んに植えられていることから、関心をもってホームページや新聞報道に注意をはらっています。
|戻るReturn|
「青森の自然環境を考える会」の活動状況や「市長記者会見」なども、当事者だけでなく一般市民、いや海を越えて海外でもオープンに見ることができますので、双方の考え方、といっても市側の考え方は「考える会」などのホームページを通じてですが、その問題解決のためのプロセスがよくわかります。 青森市長が記者会見で答えたことは、要約すれば「ミズナラを切って植林地をつくったことを認め反省。」「ブナ一色でなく、そこに存在している樹木をうまく育て、補植とか何かが必要になれば専門のかたがたのアドバイスをえて、新しい智恵もいれて考えていく。」のように受け止めました。 さらに今回おこなわれた「考える会」と、水道部管理者との意見交換では、2月の懇談会では植樹を計画通り進めていくという方針でしたが、それを修正し今後は補植程度にとどめ、たがいに現地をみながら水源林整備の方向性を考えていく。補植と下地づくりのための伐採についも双方の考えを整理していく。こうなりますね。これまでの市側の考え方からすれば、ずいぶん歩み寄ってきたように感じました。 繰り返しますが、ブナ植樹は全国的な流行でもあり、中には適地適木の基本から踏み外した例も多いようで、さまざまな問題点をはらんでいると思います。今回のプロセスとやがて得られる結果をもとに、いわゆる経済林ではない、保全林の植樹のありかたについて、広く全国に発信し理解を深めることができればと、「青森の自然環境を考える会」のさらなる活動に期待しています。 これで青森県は環境先進県として大きくステップ・アップできる。嬉しいことです。
ブナ植林皆さんのご意見よみました。青森と離れているためか北九州ではこれに関して意見が交わされることはないですね。依然植林の推進は変わらないのでしょうか。
|戻るReturn|
青森の人達は賛否どれくらいの状況なのでしょう? ブナがどれ程保水力に長けているのかは知る由も無い私ですが、自然が壊されていくことには抵抗をおぼえます。 近年野鳥たちの生態も変わりつつあるのか、梅雨が来る頃啼き始め声が聞こえなくなる頃梅雨明けとなるホトトギスも遠く離れた山でしか聞けないのです。 機械の力でどんどん削られていく山、木炭焼きのために切られてはまた育ち雑木林となった山で雛をかえし、渡っていく野鳥も今では環境が悪いためか庭先によりつきません。 椎、ミズナラ、楠等生き物たちにとってかけがえない山やまなのに、それ程ブナは水資源としてすぐれているのでしょうか。 台風の多い九州では台風が来る度に人の命とともに全てを根こそぎうばわれてしまいます。杉の山が全滅しダムに流れこんで後始末にてこずるのです。植林した山とちがい自然のままであればこんな災害は少なくて済んだのではとおもいます。植林礼賛、もう一度考えなおせないのでしょうか。ババの独り言です。
|戻るReturn| |