イ  オ  ン  の  森  批  判
(宮脇理論批判ではありません)

鹿糠耕治       2004.11.20

はじめに 私は、「自然林が存在している場所への宮脇理論によるポット苗植樹は不要である」 という趣旨の論を展開するために、宮脇理論の構成の矛盾を拾い出すことの他、「宮 脇理論の森造りの実践例」と考えていたイオンの森を何箇所か観察することになった。 その観察結果は、むしろ「イオンの森は宮脇理論通りに行われていなかった」と結論 付けたいものだった。 私は「宮脇理論には優れた点も矛盾点もある」と考えるものであり、その理論を評価 もするが批判もする立場である。そして「宮脇理論による更地での森造り」の計画段 階から運営管理まで宮脇理論どおりに行われたものの20年後の途中経過を是非見て みたかったし楽しみにもしていたのだ。残念ながらイオンの森はほんの一部を除いて 宮脇理論の実践例というにはあまりにお粗末なものであり、これでは「宮脇理論とい う有力な仮説」の擁護はおろか、これを宮脇理論の実践例として批判することもでき ない。結局私の論は具体例に乏しい理論的なだけのものになってしまった。 けれども、イオンの森の観察結果から、今日の植樹ブームの問題点が浮かび上がって 来たこともあり、また批判だけして対案を出さないのもフェアではないのでここで対 策案までまとめて置きたいと考えたわけである。それと面積のある下田で、ほんの僅 かの部分であるが宮脇理論の森として肯定できそうな部分が2箇所あることも付け加 えておきたい。 ここでは「イオン柏の森」、「イオン下田の森」、及び同様な手法で行われた八戸市 の「マックスバリュ(イオングループ)城下の植栽」の3箇所の観察した結果から、 ここで私は1)宮脇理論とイオンの森の乖離点を指摘し、また2)「何故そうなったの か」を推定し、3)「仮にそのまま放置されていればどの様だったのか?」も推定し、 そしてその上で4)理想的にはどうするべきであったのかを検討しさらに、5)同様 のあるいはより良い結果をよりローコストで得るにはどうすべきだったのかを論ずる ことにする。 1)イオンの森の宮脇理論との乖離点 a. 森の面積の絶対的不足  まず柏であるが、自然の森と呼べるくらいの面積は十分にあった。結果失敗は他の  理由による。 下田も部分的には十分な面積があるにもかかわらず、コンセプトが余分だったため 大部分は 生かせていない。しかし全体の面積の一部ではあるが、宮脇理論の成功 例に挙げたい部分が2箇所だけある。 城下は自然の森を目指す面積が始めから足りない。そこに敢えて宮脇手法を取り入 れても成功するわけが無いという見本である。 b. 樹種選択の問題点 3箇所の森のからはこの地域ではあきらかに自生しない樹種が含まれていることが まず上げられる。ヒノキ(下田)、クヌギ(柏、城下)ヒイラギモクセイ(下田、 城下)、ヒイラギナンテン(下田)、ドウダン(下田)、アセビ(下田)マサキ (下田、城下)、ブナ(下田、城下)、ユキヤナギ(下田、城下)、園芸種のアジサ イ(下田、城下)、レンギョウ(下田)、アベリア(下田)などがその例である。


園芸種のアジサイ、アセビ、マサキ(イオン下田SC2004・11・14)右に大苗植栽のブナ

 仔細に観察すればもっと見つかる可能性もある。自生は無くてもこの辺で広く植栽さ れていたりする樹種で、良く育っているものもあ るが、これらは潜在植生とも考え にくく、意図的なもので無ければ、紛れ込みではないだろうか?ましてヒイラギナン テン、レンギョ ウ、アベリアは外来の園芸種だ。ポット苗の生産地はまず当地域で はないことが推測される。これは宮脇理論と整合しない。  また、本当に自然林をつくるのだというなら樹種がかたよっている。ハリギリ、ホオ ノキ、コブシ、オオヤマザクラ、クリ、カツラ、トチなどの高木、ヤマグワなどの亜 高木やミツバウツギ、ハナイカダ、ニシキギなどの潅木は当地域の自然林には不可欠 であるが、在っても少ないかあるいは全く無い。 c. 植樹時における問題点 伐採、枝打ちなどの管理が進んで原型をとどめない柏を除いて下田、城下はまだ植樹 当時の面影があり、まだ藪状態で勝ち組負け組みが明確でない段階ではあるが、高木 候補低木候補、潅木候補がバランスよく配置されていない。あるブロックはブナが多 く、カシワが皆無とか、潅木があまり無いとか、在る部分は潅木ばかりとか美観に対 しての配慮が無さ過ぎる。たとえば将来にわたって視界がさえぎられると困る部分に は高木候補は植えるべきではない。城下や下田では駐車場の入り口付近で順調に育っ  ていたミズナラなどの高木候補が伐採されていた。車両進入時の視界を妨げていたの  でやむをえない処置であろうが、そんな場所には最初から高木候補は配置すべきでは  ない。自然林を目指す必然のある場所ではないのだから植栽と割り切るべきであろう。  その配慮が無いため結果伐採、枝打ちという「管理」が必要となり全体として宮脇理  論とは別のものになってしまう。 2)なぜそうなったのか? a. 自然林をめざすならばやはりある程度の面積が必要だ。   当然のことであるが、生態系を持った自然林となるためにはある程度の面積が必要  である。柏ではせっかくまとまった面積があったのに、失敗したのは面積不足の理由  ではない。勿体無いのは下田で、せっかくの大面積が取れるところを樹種選択なども  う少し配慮が欲しかった。しかし比較的面積のある部分の2箇所だけであるが自然林  と呼べそうな様子を持ち始めた部分がありその部分は評価したい。しかしほとんどの  部分が駐車場と道路の境界の緑地であり、これらの部分は城下同様宮脇方式は必要な  い。見苦しいだけであり、始めから「計画的な植栽」を目指すべきであった。 b. 宮脇流を実践するにはやはり時間がかかる。  森とよべるようなまとまったスペースの無い城下はともかく、ある程度の森と呼べる  ようなまとまった敷地をもった柏と下田でも結局中途半端な管理が始まってしまうの  は、宮脇流の自然林造りがやはり最低20年は掛かるものであり、早期に美観を達成す  る「植栽」とは異なるというのが最大の理由であろうと考える。  柏の森は15年経っても濃密な藪であった。ちょうどその辺りに「見苦しい」という声  が顧客や周辺住民から上がったのではないだろうか?そして、伐採、枝打ちという管  理を始めてしまったために、ケヤキ林にミズナラとカシワが少々混じる、却ってみす  ぼらしいただの林になってしまったのではないかとも思えるが、比較検討できる対照  が無いので管理が始まって良かったのか悪かったのかは比較検討できない。  下田で「これなら成功例に挙げられるようになるのではないか」という部分が2箇所  あった。たまたま樹種と場所(人手が入れにくい、目立たない)が良かったのだと考  える。今後の余分な手入れ(間伐、枝打ち、雑草採り)をして欲しくない部分である。 c. 宮脇流の森造りの途中経過は藪であり、多くの人が見苦しいと考える。  下田は敷地に余裕があり、かつ森はショッピングセンターの裏なのでまだ手がそんな  に加えられていないのだろう。しかし雑草採りのボランティア活動があるとのことで  あり、柏と同様、いつか「藪が見苦しい」という声が高まる可能性はある。  雑草採りは土壌のためにはしないほうが良い。しかし、農村地帯にあっては雑草の存  在は悪であり、ショッピングセンターにとっては雑草の生えている藪はごみの不法な  捨て場になるのがオチなのだ。


スギナが繁茂した下田ブナパーク(04/11/14) 

ゴミ捨て場となった城下駐車場外部(04/11/14) 

城下の植栽はゴミ捨て場と化していた。マナーの悪さを嘆きたくもなるが、それだけ 「藪が見苦しい」と考える人は多いのだとおもう。つまり城下の植栽は「破れガラスの 論理」の破れガラスの役割をしてしまっているのだ。「ごみは持ち帰りましょう」とい う立て札が植栽のあちこちに立っているが却って「ここにはゴミを捨てる人がいますよ」 というPRになっているのだろうと思う。


「ごみは持ち帰りましょう」の立て札。上右の写真の場所の駐車場側(04/11/14)

3)あと10年そのまま放置されていればイオンの森はどのようであったのか? a.イオン柏の森  植樹後約15年を経過した5年前は濃密な藪であった。このあたりで間伐、枝打ち、  下草刈りという人工林並の手入れが行われ、少しずつ森らしくはなったが、はっきり  言って美しい森ではなくむしろみすぼらしい森である。20年後の現在樹木の種類、  下草の種類も少なくこの程度の森なら、ケヤキの大苗を使って堆肥を施した畑土に2  00本も植えれば15年後にはこれ以上のケヤキの美林が造れたと思う程度のものであ  る。ミズナラ、カシワ、ヤマザクラも残ってはいるが数も少なく育ちも悪い。低木、  潅木も同時に植えられたはずであるが残っていない。一番育ちの良い木が地元のもの  でないクヌギが一本というのが皮肉である。要するに手入れを始めた5年前には大勢  がきまっていて、枝打ち間伐の手入れはその勝敗の決着を早めただけだろうと推測す  る。であれば、イオン柏の森はそのまま放置されていても失敗作だったと結論付けら  れると考える。混ぜて密植の結果がただのケヤキ林ではあまりに情けない。


ほとんど「ただのケヤキ林」となったイオン柏の森(2004/9/11)

b.イオン下田の森  植えられて10年を経過したイオン下田の森であるがブナパークと銘打たれているあ  たり森造りのコンセプトから間違えている。太平洋側ではブナは風除けを工夫しない  と育ちが悪い。ことさらブナのみ大苗を使い、他の高木候補は潅木類と同じ1〜2年  生のポット苗であった。(実は私もこのときボランティアで植樹に参加している。)  ブナは風がまともに当たる部分では枯死したり枝先が枯れこんでいる。観察したとこ  ろブナのほかの高木候補の種類が少ない。大部分では潅木がササの役割をしてしまい、  高木候補の成長が悪い。自然林でも林床がササであれば高木の成長は抑制される。明  らかに高木候補と潅木のバランスが悪いのでこの藪状態は暫く続くだろう。但し柏の  ときよりは潅木が花の美しいものが選ばれているのでただのうるさい藪という評価に  なってしまわないところに救いはある。(園芸種のアジサイは自然の森には相応しく  ないが狭い面積はあえて自然の種にこだわる必然は無いと割り切ることも必要だ。)  まとまった森の部分ではあと10年もすればミズナラ、カエデなどの当地向きの高木  候補が頭角を現すだろうから森らしくなるのはそれからだろう。自然の森らしくなっ  てきた2箇所には特に期待が持てる。ある程度のまとまった面積のある部分でかつ風  がまともに当たらない場所ではブナの成長も今のところ悪くない。


自然林らしくなってきた部分(下田 2004/11/14)

c.マックスバリュ城下(八戸市)の植栽  ここは一番新しく8年ほど経過しているに過ぎないが、始めから高木候補が多く、ケ  ヤキ、ミズナラ、カシワ、ブナなどが順調に育っている。八戸市内なので住宅なども  あり下田ほど風あたりが強くないのでブナも成長できるのだ。それに植えられている  場所が森と呼べるほどの深さが無く、満遍なく陽光があたるので、潅木類も高木の成  長を妨げないのが高木の生長には良い結果を招いている。但し潅木類は美観上やはり  うるさい。園芸種のアジサイやユキヤナギなどでごまかしているがそれでも藪然とみ  えるので、市街地の街地の悲しさごみ捨て場になってしまっている。その対策でもあ  ろうがせっかく育った潅木類を刈り込んでさっぱりさせ、「ごみは持ち帰りましょう」  の立て札をあちこちに立てているが効果は疑問である。市街地には袖群落つきの林と  いうのはよほど人工的に作られていなければ藪の扱いを受けるのではないだろうか?  高木は今後も順調に育つだろうが、結果は単なる「無秩序な林」になってしまうだろ  う。 4)森造りを理想的に勧めるにはどうすべきであったのか? a. 当地の樹種、当地生産の苗に限定する。  宮脇氏自身は「自然な範囲で希望の樹種を織り込むことは可能だ」という趣旨の発言  もされているが、ブナの本来無い地域にブナを主木に選定(下田)したのは大きな誤  りである。  苗の当地生産については実は厄介な問題があるだろう。地元の園芸業者はいわゆる庭  木の生産はしても、ナラ類やイタヤカエデ、トチ、ハリギリなどの山の自然林を構成  する樹種を見込み生産はしないので、計画時に契約して苗をつくってもらわなければ  ならないことになる。しかしそうしなければその土地の自然林を造ることにはならな  い。 b.美観を重視する。  美観などの人的要因を織り込んだときにもはやそれは宮脇理論ではなくなると考える  向きもあるだろうが、実はこの「人的要因の軽視」が宮脇理論を不完全な矛盾に満ち  たものにしている最大の原因であると私は考えている。意見の別れるところであるが、  生態系を人間を含めて捉えるか、「人間は生態系からはみ出した」として人間を含め  ずに理想の「生態系を想像、創造するか」では方法論がまるで異なってしまうのは当  たり前だと思う。  私は人間を生態系に含めるべきだと考える立場であるが、ここでその当否を議論する  ことは長くなりすぎるのでしない。  とまれ人的要素「人が利用する森」と割り切れば、宮脇氏自身も言及しているように  自然の範囲内で美観重視の樹種のかたよりは問題にならないし、樹木の性質を考えな  がらきちんとレイアウトしていけば良い。つまり「造園や植栽をもっと自然流でする」  というだけになる。高木、潅木とも、姿の良いもの、花が楽しめるもの、蜜源になる  もの、香りの良いもの、果実の美しいもの、紅葉の美しいものなどを当地の自生樹種  から選べば良いのだ。高木ではトチ、カツラ、コブシ、オオヤマザクラ、コナラ、ミ  ズナラ、カエデ類、ケヤキ、ハリギリ、低木潅木では、オオカメノキ、タニウツギ、  ニシキギ、ハナイカダ、ミツバウツギ、ツツジ類など。これ等をどの場所に植えるか  あらかじめ計画を立てその計画に沿って植えていく。雑草が見苦しいのであれば初め  から強健な下草やグラウンドカバーを地元の植物(フッキソウやリュウノヒゲなど)  を選定しておき、時期を選んで必要な場所に植え込む。 c.樹木が育ってきたら名札をつける。  「これはなんという木です。ここに存在価値があって生きています」ということを周  辺住民に知らせる意味で非常に役に立つ。名前を知ることは親しむ第一歩であり、大  事にしているという姿勢の表れでもある。 d.管理方法はマニュアル化する。  管理するものは統一されたコンセプトをもってその森の管理にあたれるように、管理  方法をマニュアル化しておく。3年経てば管理は不要というのが宮脇流だが、自然流  とはいっても所詮は人工林であり、有機的生態系などは当分の間持てるわけが無い。  つまり定期的な管理は不可欠である。ただ自然流に、いわゆる庭師の仕事ができるだ  け不要なような計画をあらかじめ立てておけば良いのだ。 5)もっとローコストにできないか a. 苗作りから植樹までボランティアにおねがいする   苗の当地生産とローコスト化を両立させるために、計画を公表し苗つくりのボラン  ティアをつのることにする。自然保護団体を通じて趣旨を説明すれば心得のある方は  片手間にポット苗つくりをしてくれる人々は多いのではないだろうか。クリ、コナラ、  ミズナラ、トチ、ナナカマドだったら実生は容易で小学生に理科勉強を兼ねてしても  らうことも可能だろう。他の樹種でも実生を手に入れポット育苗することはそんな難  しいものは無い。植樹の場合も自分で育てた苗を植えるのであれば丁寧な仕事が期待  でき、私の植えた森という愛着も強いものになる。 b. 植樹は樹種ごとに行い、極端な密植はしない  宮脇流では「混ぜて密植」であるが、せっかくの苗をできるだけ生かすために極端な  密植はせずレイアウトにそって樹種ごとに植え込む。つまり後で無駄な伐採や刈り込  みを避けるために最初のレイアウトが練られたものでなければならないということで  ある。つまり自然林風に仕立てるのであっても自然林ではない。しかし30年後には  確実に自然林風の森林になり、明治神宮のように100年後には自然林と呼べるよう  なものになるだろう。 終わりに 果たして市街地にまで自然林は必要なのだろうか?限りなく自然に近い森が造られても 樹木や草本だけでは自然の生態系など望むべくも無い。結局は自然に近いだけの人工林 であり、あえてそのような努力をしたところでとりたてて自然が豊かになるわけではな い。いま日本でもっとも問題として取り上げるべきなのは自然の自然林や、里山の荒廃 なのである。潜在植生であろうが、代償植生であろうが、豊かな生態系を持つことの出 来る自然林のある程度まとまった塊を日本に残す必要があることは確かであろう。それ と人間が生きていくために管理利用する人工林や田畑のような耕地はやはりきちんと管 理することにより、自然に対する負荷の少ない存在にする必要があるだろう。放置され たスギ植林地や放棄された田畑を「自然に還すのか」「人間の利用地として管理するの か」の選択がまず必要だ。 自然に還すのだという場合は宮脇方式はその有力なひとつの選択肢であるのは間違いな い。しかし人の領域である市街地にまで適用しようというのはいささか無理があるとい うのが今回のイオンの森を見ての正直な感想である。 また無立木地なら宮脇方式は有力な選択肢の一つであっても横内のように既にある自然 林(二次林ではあるが)をことさら宮脇方式で改造しようというのも時間と労力と経費 の無駄であろう。理論がいかに優れていても実践は多くの人間の関わることであるから、 イオンの森の例でも分かるようにその場の都合を優先してしまえば理論どおりの貫徹は 不可能である。宮脇理論の理論どおりの実践は苗集めの段階から決して易しいものでは ないのである。(了)


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